豊かさは行き過ぎて

f:id:nakatomimoka:20201101170814j:plain

グリッド・フェテル・リーさん。「お菓子屋を自然にたとえるなら、さしずめ青々として草木が生い茂り、肥沃な土壌と豊かな水、食用の動植物に恵まれた場所だろう。これは今日でさえ人々が暮らしたいと考える環境である。緑豊かな環境への選考は、いわば人間のデフォルト設定と考えらえる。豊かさの喜びが太古の昔にまでさかのぼるという考えに、私は説得力を感じたが、この喜びには限界があることにも気づき始めた。趣味のコレクションやチョコレートの詰め合わせはゴミ屋敷や肥満を招きかねない。豊かさはまさにその性質上、行き過ぎてしまうことがあるのだ。豊かさへの衝動は、欠乏の世界で発達した。ものであふれかえる世界には、『豊かさの美学』は合わなくなっているのだろうか。もはや豊かさを求める必要はないのかもしれない」豊かさの喜び。

過剰なものの魅力

f:id:nakatomimoka:20201031152717j:plain

イングリッド・フェテル・リーさん。「なぜ、たくさんだと『うっとり』するのか。『お菓子屋さんで目移りする子どものよう』とは、アメリカ文化で喜びを象徴するイメージの一つで、ものがあふれる世界に解き放たれたときに湧き上がる、強烈な有頂天の喜びを示しており、それは『豊かさ』の感情を呼び起こす。なぜ豊かさには、はじけるような喜びがあるのだろう。必要を遥かに超える量のものがあると感じる時、こんなにうっとるするのはなぜだろう。現代の社会では、豊かさが最近になるまでまれだったことを忘れてしまいがちだ。生き延びる為に狩猟採集を行っていた初期の人間の目から見れば、コンビニでさえ、富の宝庫だ。豊かさへの愛は、糖分と脂肪分への愛と同様、ものが欠乏した不確実な世界を生き抜くのに役立った生物学的衝動の残滓である」あふれる。

メール中断の破壊力

f:id:nakatomimoka:20201020130121j:plain

アダム・オルターさん。「目標文化が拡大している証拠はいくらでも見つかる。書籍に「目標追求」という言葉が登場する回数は1950年を境に爆発的に増えた。目標を1つ達成して終わりではなく、完了するごとに次の目標を設定せずにはいられない性質を『完璧主義』という。この概念も1800年代初期には存在していなかったも同然だったが、いまでは過剰なほど使われている。あなたは一般的な仕事のメールをどのくらい長く未読にしておけるだろうか。答えはたったの6秒だ。仕事用メールの70%は受信から6秒以内に読まれている。人は6秒を待てずに、そのときしていた作業を放りだしてメーラーをクリックし受信メールを読まずにいられないのだ。この破壊力は大きい。メールのために中断した作業に集中力が戻るまで25分かかると言われている」強迫概念。

目標を達成すればするほど

f:id:nakatomimoka:20201020184948j:plain

アダム・オルターさん。「おそらく人生に目標を掲げると、それ自体が人間にとって多大なストレス源となるのかもしれない。目標が失敗すれば失望するし、成功すれば次を目指さねばならず、結局心の休まる時がないからだ。目標設定ありきの考え方にはマイナスの要素が多い。にもかかわらず、この慣習は過去数十年ほどで拡大する一方だ。現代は何が変わったのかと言うと、人の生活が目標追求に支配されるようになったことだ。太古の昔に目標と言えば、ほぼ例外なく生き残ることでしかなかった。目標を追いかけるのは贅沢でも選択でもなく、生物的な義務だった。現代における目標とは、プロセスの到達地点ではない。目標を追いかける旅が終わることはない。そして往々にして、目標を達成すればするほど、目標を達成することの喜びが目減りしてく」目標。

目標依存症患者

f:id:nakatomimoka:20201020181553j:plain

アダム・オルターさん。「ラーソンは目標依存症患者の悲しき典型だ。登山家が命を落とす寸前の体験をしながら、なお新たな登頂を目指さずにいられないのも、ギャンブル依存症患者が生活が破綻しても賭けごとをやめられないのも、ワーカーホリックの会社員が稼ぎを増やす必要性がなくても遅くまで残業したがるのも、程度の差こそあれラーソンと同じ症状をこじられせているからだ。走り幅跳びの選手だったロバート・ビーモンと、クイズ番組に出場したマイケル・ラーソン、どちらも長期的な成功を目指して目の前の幸せを犠牲にしていたことは同じだ。そして2人とも、待ち望んでいた大成功を得ながら、それで完璧な満足には浸れなかった。まるでギリシャ神話に出てくるシーシュポスのようだ。石をは運ぶそばから転がり落ちてしまう」目標が目的になってはいけない。

愛はコカインに似ている

f:id:nakatomimoka:20201020194405j:plain

アダム・オルターさん。「ヘレン・フィッシャーが、熱烈な恋をしている被験者の脳を調べる実験を行ったところ、腹側被蓋野ドーパミンを生成し、脳のさまざまな領域に送りだしている脳の報酬系の一分)と呼ばれる領域のぼんやりとした活動が写った。恋人同士が一晩中愛をささやき、愛撫を交わしあえるのも不思議ではない。他のことが眼中に入らず、浅はかで楽観的になり、愛想よくエネルギッシュになるのも当然のこと。恋をする人は、天然のドラッグでハイになっている。世界中のだれもがこの情熱を抱く。誰かに恋い焦がれるのと同じ愛着が、ウオッカの瓶、ヘロインの注射器、またはカジノで過ごす時間に向かうことがある。このウオッカは代用品だ。人に愛されることで苦労をしのぎやすくなるのと同じ形で、心理的なつらさを癒してくれる」恋は麻薬。

行動に対する依存症

f:id:nakatomimoka:20201020174118j:plain

アダム・オルターさん。「人間は、物質に対してだけではなく、行動に対しても依存症になる。時代の流れと共に薬物が強力になったように、行動がもたらす興奮も、近頃では昔と比べものにならないほど大きくなった。世にあふれる様々なプロダクトは実に巧みにデザインされている。何度も何度も使いたい気持ちにさせるツボを押さえている。モノだけではない。職場でも、常にあと少しで届きそうな位置に、ニンジンがぶらさげられている。昇進はもう決まったようなものだ、あと1つ契約が決まればボーナスが出る……と。ベトナム帰還兵、ラット34番がそうだったように、依存症は学習によって生じる。依存症状を呼ぶ『合図』ーヘロインと結びつく場所、もしくは小さな金属のレバーーが、寂しさ、虚無感、悲しみを癒してくれると学んでしまうのである」依存。