行年五十にして

nakatomimoka2014-05-11

安岡正篤さん。「蘧伯玉は、『行年五十にして四十九年の非を知る』と言われている。人間というものは、孔子も『四十にして惑わず、五十にして天命を知る』と言われたように、だいたい五十歳ぐらいになると固定する。早い人は二十くらいで固定してしまう。『命を知る』ということは、消極的には『もう俺はこれだけの人間だ』と諦めてしまうことである。それがさらに達してくると、人生というもの、従って自己というものは、どういうものでなければならぬかという本質・本領をはっきり知って、造化の法則である道というものに完全に自己を合致せしめる。すなわち真の自由を得る。だから知命といっても種々あるわけですが、どちらにしても、だいたい五十くらいになると、分に応じて自己を掴む。自分をそこで固定してしまう。造化・変化がきかなくなる」どうだか。