目標信仰の末路

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アダム・オルターさん。「度を越しさえしなければ、個人的な目標を掲げるというのはまったくもって妥当なことだ。目標があればこそ、限られた時間や目標をどう使うべきか見えてくる。だが現代では、求めもしない目標が向こうからやってくる。ソーシャルメディアに登録すれば、フォロワーや『いいね!』の数を集めたくなる。自分のがんばりをタイムや数字に管理させていると、キリのいい数字に達すること、社会的比較で納得のいく数字を出すこと自体が目標になってくるのだ。人より速く走りたい、人より多く稼ぎたい、まとまった形で結果を出したいと思えて仕方ない。目標は高くなる一方で、依存的な追求に油を注ぐ。つねに何かの目標に失敗している自分として生きながら、何かに成功するたび、また新しく野心的な目標を掲げずにいられなくなるのである」目標。