物語とは内面的な旅

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リサ・クロンさん。「では物語とは何か。困難なゴールに到達しようとする誰かに対し、起きたことがどう影響するか、そしてその誰かがどう変化するか。それが物語だ。”起きたこと”とは、プロットのこと。”誰か”とは、いわゆるストーリー・クエスチョン(物語のなかで解決されるべき問題)のこと。”その誰かがどう変わるか”とは、これは何についての物語なのかということ。理にかなっていないように聞こえるかもしれないが、物語とは、プロットについて、あるいはそこで何が起きているかについて書かれたものではない。物語とは、人の周囲の世界ではなく、人がどう変わっていくかを描いたものだ。そのプロットのなかを進むのがどんな感じか、それを読み手にも体験できるように書かれていなければ、物語が読者をとらえることはできない」内面の変化を。

世界を安全に渡るため

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リサ・クロンさん。「普通の読者のほとんどは、その期待がなになのかを説明することができない。たとえ問い詰められても、おそらくは物語の魔力などといった、定量化できない曖昧な言葉を持ち出すだけだろう。それも当然だ。本当の答えは、一見すると理にかなっていないように見えるものだ。人の期待に大きくかかわっているのは、その物語がどれだけこの世俗的な世界を安全に渡るための情報を与えてくれるかということなのだ。そのために人間は、非常に洗練された潜在意識的感覚を通じて、明確な目標を持った登場人物が困難な状況に巻き込まれるがそこを潜り抜ける、という形式を期待して物語を読む。物語が脳の基準に見合っていれば、読み手は自分の居心地のいい家から出ることなく、安心して主人公の中に入り込み、主人公の闘いを体験できる」知恵。

心のカタログ

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リサ・クロンさん。「物語があれば、実際に起きたことでなくても、重大な経験をシミュレーションすることができる。これは石器時代においては生死にもかかわる問題で、経験が教えてくれるのを待って藪の中を動き回ったりすれば、昼食を探しているライオンに見つかって餌食にされるだけだ。物語は、自分や他者の心を探る方法、未来の為の予行演習としても発展してきた。生死に関わる身体的な感覚のみならず、より良い人生を求める社会的感覚としての生き残り術も伝えるようになった。物語は、いつか私たちが直面するかもしれない人生の難関や、その時にとれる戦略の結果を取り揃えた心のカタログを提供してくれる。人生は芸術を芸術を模倣するという決まり文句が真実を言い当てているのは、ある種の芸術の役割が、人生がそれを模倣することにあるからだ」物語。

いまここにある幸福

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樺沢紫苑さん。「セロトニン的幸福とオキシトシン的幸福は、そこにある幸福です。言うならば、BEの幸福。朝起きて、外に出て青空を見て『爽やか』『気持ちいい』と感じる。そこには、セロトニン的幸福が『ある』のです。しかし、その、『ありがたさ』に気づかない人も多い。朝起きて、そこに最愛のパートナーがいて朝ご飯を作ってくれている。なんという幸せでしょうか。そこには、オキシトシン的幸福が『ある』のです。しかし、その『ありがたさ』に気付かない人も多い。『ありがたい』とは、『ある』ことが難しい状態。だからこそ、そこに感謝の念をもとう。私たちは、セロトニン的幸福とオキシトシン的幸福、すなわちBEの幸福をすでに手に入れている可能性があります。しかし、それは意識し、注意しないと見逃してしまうのです」なんという幸せ。

脳の注意を引く物語

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リサ・クロンさん。「どんな魅力的な物語の根底にも、相互に組み合わされてひとつにまとまり、一見そうは見えなくても精密に構築された網の目のような要素があるのだが、それに読者がまったく気づかないとしても驚くことではない。美しいメタファー、本物らしく響く会話、興味深い登場人物、そうしたものがいかに魅力的であっても、実際には二次的な要素でしかない。読者を引き込むのはもっと全然別の、奥底からひそかにこうした要素に生気を与えているものなのだ。私たちの脳はそれを”物語”として理解している。人が物語を読むときに無意識に反応しているものは何か。何が実際に人の脳の注意を惹いているのか。少し立ち止まってそれを分析しないことには、読者の脳を捉えるような物語を書くことはできない」読者の脳に組み込まれた期待に見合えるか。

物語の良し悪し

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リサ・クロンさん。「人間は、出来の悪い物語には三秒と耐えられない。出来の良い物語もすぐにわかる。人は三歳ぐらいからその識別ができ、以来さまざまな形式の物語に耽溺する。人間の神経系統が、物語の最初の一文からこれは面白いとわかるようにできているのなら、面白い物語を書くのだって簡単なはずではないか? これについても、進化の歴史が答えを提供してくれている。そもそも物語は、人間の生命を維持する特定の情報を共有するため、仲間をまとめる方法として生まれた。『ほら、そこの若いの、そのつやつやした赤い実を食べちゃいかん、でないと隣のネアンデルタール人みたいなしわがれ声になるぞ、実は前に……』。そんなふうに、かつての物語は単純で実用的なものであり、現在ではゴシップと呼ばれるものとも大した差はなかった」人間と物語。

ドーパミンは依存症の

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樺沢紫苑さん。「ドーパミン的幸福を得るのは大変。だからこそ、喜びは大きく、価値があるのですが、実は簡単にドーパミンを出す方法があります。例えば、お酒です。お酒を飲むと、ドーパミンが分泌されます。だからお酒に酔うと、『楽しい』気分になるのです。缶ビールや缶チューハイ。たったの200円で、ドーパミン的幸福が手に入る。幸福とは、実に簡単に手に入るものなのです。しかし、そこには『落とし穴』があります。ドーパミンは、『もっともっと』の物質です。酒好きの人が、缶ビール1本で満足できるはずもなく、2本、3本と飲んでしまう。結果として、へべれけになるまで飲んでしまいます。あるいは、お酒には『慣れ』の効果があります。最初は、缶ビール1本で満足できるのですが、すぐに毎日2本飲むようになり、また飲酒量が増えて3本、4本と飲むようになる。これを何年も続けると、『アルコール依存症』になります」依存症。