2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

労働も消費の対象

國分功一郎さん。「現在では労働までもが消費の対象になっている。どういうことかと言うと、労働は今や忙しさという価値を消費する行為になっているというのだ。『1日に15時間働くことが自分の義務だと考えている社長や重役達のわざとらしい「忙しさ」がいい…

清貧の勘違い

國分功一郎さん。「日本でもかつて『清貧の思想』というのが流行ったがまさしくこれだ。こうした『思想』は根本的な勘違いにもとづいている。消費は贅沢などもたらさない。消費する際に人は物を受け取らないのだから、消費はむしろ贅沢を遠ざけている。消費…

浪費するのを妨げる社会

國分功一郎さん。「消費社会は、わずかな物を記号に仕立て上げ、消費者が消費し続けるように仕向ける。消費社会は私たちを浪費ではなくて消費へと駆り立てる。消費社会は、私たちが浪費家ではなくて消費者になって、絶えざる観念の消費のゲームを続けること…

原初の豊かな社会

國分功一郎さん。「人類学者マーシャル・サーリンズは『原初のあふれる社会』という仮説を提示している。狩猟採集民はほとんど物をもたない。道具は貸し借りする。計画的に食料を貯蔵したり生産したりもしない。なくなったら採りにいく。無計画な生活である…

店に付与された観念を

國分功一郎さん。「浪費はどこかでストップする。それに対し消費はストップしない。例えばグルメブームなるものがあった。雑誌やテレビで、この店がおいしい、有名人が利用しているなどと宣伝される。人々はその店に殺到する。だれかに、『あの店に行ったよ…

消費は止まらない

國分功一郎さん。「しかし、人類はつい最近になって、まったく新しいことを始めた。それが消費である。浪費はどこかでストップするのだった。物の受け取りには限界があるから。しかし、消費はそうではない。消費は止まらない。消費はけっして満足をもたらさ…

浪費と消費の区別

國分功一郎さん。「ボードリヤールという社会学者・哲学者が述べている浪費と消費の区別に注目したいと思う。浪費とは何か?浪費とは、必要を超えて物を受け取ること、吸収することである。必要のないもの、使い切れないものが浪費の前提である。浪費は必要…

贅沢とは何か

國分功一郎さん。「贅沢とは何だろうか? 贅沢は不必要なものと関わっている。必要の限界を超えて支出が行われる時、人は贅沢であると感じる。たとえば豪華な食事がなくても声明は維持できる。その意味で、豪華な食事は贅沢と言われる。装飾をふんだんに用い…

暇は独占の対象

國分功一郎さん。「定住は人類をいかんともしがたい<能力の過剰>という条件のなかに放り込んだ。人類はそれをもとにして文化という営みを発展させてきたが、それと同時に、絶えざる退屈との戦いをも強いられたのだった。だが、退屈はほどなくして、人間に…

環境に秩序を作り出す

イーサン・クロスさん。「(1)環境に秩序を作り出そう。チャッターに見舞われると、自分がコントロールを失っていると感じがちだ。思考の悪循環に支配され、自分を見失ってしまう。そんなときには、周囲の環境に秩序を与えてコントロール感覚を高めよう。…

心の残響室から退く

イーサン・クロスさん。「自分の心の残響室から『一歩退き』、より広く、より穏やかで、より客観的な見方をする能力は、チャッターと闘う為の重要なツールになる。(1)距離を置いた自己対話を活用しよう。困難な状況を切り抜けたいときは、自分を指すのに…

内なる声の抑制に儀式

イーサン・クロスさん。「儀式が内なる声の抑制にこれほど役立つのは、儀式はチャッターを減らすカクテルであり、複数の経路を通じて効くからだ。儀式はまず、心を乱すものから注意を逸らしてくれる。儀式という課題を実行せよと作業記憶に要求するため、不…

より大きな力とつながる

イーサン・クロスさん。「実のところ、儀式を構成する個々の手順は、実現を目指す幅広い目標とは何の関連もないように見える。たとえば、ライスがゴーグルとキャップを4回抑えることが、なぜ速く泳ぐことに役立つのかはわからない。儀式には意味が込められ…

儀式で鎮める

イーサン・クロスさん。「文化によって伝わる『魔法の』ツールは信じることだけではない。信じることから別のアプローチも生まれる。儀式だ。儀式もまた、チャッターを鎮めるツールなのだ。2014年にサウスウエスト航空がブランドを刷新した際、機体の側面に…

退屈が悩み事に

國分功一郎さん。「退屈が人々の悩み事になったのはロマン主義のせいだーこれがスヴェンセンの答えである。ロマン主義とは18世紀にヨーロッパを中心に現れた思想を指す。ロマン主義者は一般に『人生の充実』を求める。しかし、それが何を指しているのかはだ…

熱意さえあれば幸せか

國分功一郎さん。「熱意はおそらく幸福と関連している。だが、ラッセルはそこから、『熱意があればよい』『熱意さえあれば幸せである』という結論に至ってしまった。そこが問題である。実際、ラッセルはこの結論の問題点にも気づいていたように思われる。彼…

熱意を持てる活動

國分功一郎さん。「ラッセルが言いたいのは、熱意をもって取り組める活動が得られれば、幸福になれるということだ。だからその活動はどのようなものでも構わない。仕事、趣味、主義主張を信じること。熱意を持てる活動は沢山ころがっているとラッセルは主張…

楽しみを求められる人

國分功一郎さん。「退屈しているとき、人は『楽しくない』と思っている。だから退屈の反対は楽しさだと思っている。しかし違うのだ。退屈している人間が求めて居るのは楽しいことではなくて、興奮できることなのである。ニーチェも言っていた通り、人は退屈…

退屈の反対は興奮

國分功一郎さん。「退屈する心が求めているのは、今日を昨日から区別してくれる事件である。ならば、事件はただ今日を昨日から区別してくれるものであればいい。その事件の内容はどうでもよいことになる。不幸な事件でもよい。悲惨な事件でもよい。『他人の…

自我の収縮

イーサン・クロスさん。「言葉にできない雄大なものの存在を前にすると、自分—そして頭の中の声—が世界の中心だとは考えられなくなってくる。それによって、思考のシナプスの流れが変わる。何であれ、それを体験することで安堵感が得られる。畏怖の念を誘う…

プラセボの出番

イーサン・クロスさん。「験かつぎの縁起物を大切にする人を盲信の徒として片づけるのは間違っている。科学的に見て、ごく合理的なことだからだ。縁起物やお守り、癒す人の存在(シャーマンや信頼厚い医師など)、特別な環境といったプラセボが楽にしてくれ…

プラセボの魔力

イーサン・クロスさん。「今では、プラセボは大いに存在価値のあるもので、信念と治癒が心理において絡み合っていることを示す明白な証左であり、チャッターを抑える秘策であると理解されている。プラセボは、物やシンボルに『魔力』を与える人類古来の伝統…

駆け出しの自分

三浦知良さん。「挑戦に足を踏み入れる度に、単身でブラジルに渡った15歳の頃を思い出す。いや、選手として生きている限り、いつだってあの駆け出しの自分に戻っている気がする。成功したいと踏み出した時点で成功は始まっているよと、かけられた言葉も蘇っ…

苦労ができるんだから

三浦知良さん。「我ながら、大変なところへ来たもんだと思います。20代、いや、代表クラスの選手が飛び込んでも簡単じゃないかもしれない。僕の今の力でそこでやっていくとなると掛け値なしに大変。挑戦してどうなるの、と思われるだろうか。でも、『苦労』…

運命をコントロール

イーサン・クロスさん。「自分自身をコントロールしたいと望むのは、人間の強い欲求だ。自らの運命をコントロールする力があると信じることは、目標を達成しようとするかどうか、そのためにどのくらい努力するか、困難にぶつかったときにどれだけ持ちこたえ…

環境の延長で心に秩序

イーサン・クロスさん。「チャッターの緩衝材として環境の要素を構築するこの傾向は、パフォーマンスの評価とはかかわりのない分野にも見られる。人間が関わるあらゆる分野や環境に応用されるのだ。人間はさまざまな方法で、自分を取り巻く環境に秩序を持ち…

幸福である中の不幸

國分功一郎さん。「自分が論じたいのは、現代人の不幸、すなわち、『食と住を確保できるだけの収入』と『日常の身体活動ができるほどの健康』を持ち合わせている人たちを襲っている日常的な不幸である、とラッセルは言う。人はそれを贅沢病というかもしれな…

焚火がいいわけ

加藤俊徳さん。「『光をもたらすこと』は、脳に影響をもたらします。光駆動反応といって、『人の目に、周期的に光刺激を与えると、脳波も、その刺激の周波数と同じ周波数に同調する現象が見られる』ことが分かっています。つまり、目に入る光の周波数が、脳…