見識と胆識

「人間が利口とか、おとなしいというようなことは枝葉末節であって、花がきれいとか、枝ぶりがよいということです。要は、根や幹が人間としてできているかどうかなのであります。人間は、いろんな経験から知識ができてくる。その単なる知識ならば大脳の末梢的なもので、本当は全人格的な人間そのものを打ち出すことにならなければいけない。これを「識見」とか「見識」というのであります。これが、実際問題にぶつかって、いろいろな抵抗や矛盾に鍛えられ、きびきびした実行力になりますと「胆識」というのであります。」安岡正篤の言葉である。