果報は寝て   

今日、イイコトがありますように、と願うとする。イイコトとは何だろう、と考えるに、それは奇跡的に素敵な異性との偶然の出会いがあったり、一財産転がり込んだりというようなこともあるだろうけれど、やはり、嬉しいのはこれまでの努力の結果が報いられたという知らせを受けることではないかと思い至った。と、これ即ち「果報」ではないか。果報は寝て待てというのは、これまで経験からするに正しい。うまくいっているのではないかと待ちわびる姿勢というのはどうも女神が嫌うらしく、知らないふりをしていたり忘れているような時に喜びの知らせはもたらされるものなのだ。沖縄・八重山で、八重山は「果報の島々」と呼ばれるのだと伺った。「世果報(ユガフ)」という言葉もいい。さて、日ごろの努力なかりせば、あとはせめてちいさなイイコトに心和ませて。