自分にできる精一杯

nakatomimoka2011-01-30

千宗屋さん。「大徳寺長老の立花大亀老師が、相手の為に、自分ができる精一杯のことをして差し上げるのだけれども、その精一杯にも物理的には限界がある。それをごめんなさいとお詫びする、『侘び』とは、その『お詫び』の気持ちの現れなのだとおっしゃったことがあります。客をもてなすためには今の自分の全てを出し切らなければならないし、どうかするとちょっと無理もしなければならない。かといって身の丈に合わない、分不相応なもてなしではかえって格好悪い。(略)尚政が用意したのは一汁二菜の質素極まりない食事。宗旦はこれを批判して、亭主の尚政はわび茶の真意がわかっていない、茶の湯はその時の己の真の全てを尽くすものなのだから、形ばかり質素にしてみせるのではなく、大名なら大名なりのやり方があるはずだと言います」己が精一杯を。