祭りの功徳

nakatomimoka2012-07-03

玄侑宗久さん。「遙かでよく見えない目標を、神仏は与えてくれる。そこで人は本当の意味で遊ぶんです。ただ歩いていたってそうじゃないですか? 何処へ行くという目標があんまりはっきりしていると歩くこと自体を遊べない。単なる『ための努力』みたいになっちゃいます。だけどどこに行くか解らない、何のために歩くのかよく解らない、っていう状況の中で、人は踊りだしたりするんじゃないでしょうか。一遍上人念仏踊りなんかも、自分というちっぽけな認識を捨てる、常識のなかでの私を捨てる。いわば捨てるための踊りだと思うんですが、なんといっても楽しいし恍惚とするんでしょうね。神仏の前に立てば、誰でも全ての役を離れて無邪気になれるじゃないですか? 何ものでもない自分に戻れる。祭りにはそういう功徳があるような気がしますね」本当に遊ぶ。