走り高跳びの背面飛びは、当時大学生だったアメリカのフォズベリー選手によって開発された個人の技術だった。それまで主流だったベリーロールよりも助走速度を増加させ、より低い重心高でバーをクリアできることをフォズベリー選手が理論的に理解していたといわれている。そしてメキシコオリンピックで224cmの記録で見事優勝、以降この技術の有効性が世界中で研究され有効性が認められている。こういうの、すごいよなぁ。受験勉強の時の我が「独創的」な勉強法はあまりに我流すぎて、依頼はあったのに旺文社のテキストの合格体験記に載らなかったものなぁ。仕事もそうなのかなぁ。

〔追記〕2012-03-12
トム・ケリーさん「1960年代、オレゴン州メドフィールドの高校にディック・フォスベリーという名のあまりぱっとしない陸上選手がいた。当時、フォスベリーは「はさみ跳び」というおなじみの跳び方をしていた。よくテニス選手が勝ったときに横向きにネットを跳び越えることがあるが、ちょうどあれと同じ跳び方である。16歳のとき、彼はある競技会で、記録向上は望めないはずのはさみ跳びをまたやってみた。すると、意外なことが起こった。バーの高さがあげられていくうちに、『どんどん身体が後方に傾いていくようになった』のだ。そして、『まもなく、仰向けの状態になった』と、彼はのちに説明している。それはまだ厳密な背面跳びではなかったが、フォスベリーはほとんど後ろ向きで跳躍していた。そして自己の持つ記録を更新したのである。高校を卒業した1965年の夏、フォスベリーは彼のトレードマークとなった『背面跳び』をやりはじめた。その夏、彼は国内のジュニアチャンピオンになった。1968年の夏季オリンピックメキシコ・シティ大会で、彼が跳ぶたびにスタジアム内の8万人の観客は言葉を失っていくように見えた。あれでは首の骨が折れてしまう、と専門家はいった。しかし、フォスベリーは首の骨を折る代わりに、走り高跳びの全米記録とオリンピック記録を破り、2メートル24センチのバーをクリアして金メダルを獲得した。フォスベリーの背面跳びが一流アスリートのあいだに浸透するまで10年近くかかったが、最終的に彼の背面跳びは、オリンピックをめざす世界中の走り高跳び選手に採用された。驚くべき事に、フォスベリーが1960年代半ばに発見したものー思いがけないところからヒントを得て、適切な試行錯誤を通じて進化した跳躍スタイルーは、今日もなお走り高跳びの最も効率的な技法とされている。フォスベリーは、多くの人から欠陥が多いと思われていた方法を試してみて、自分なりのひねりを加え、少しずつその方法を洗練させていったのだ。」