とりあえず全力疾走から

nakatomimoka2011-10-28

豊田泰光さん。「1958年の西鉄球宴直前、首位南海に11ゲーム差をつけられながら、追い上げて逆転優勝した。何も特別なことはしなかった。ただ記憶にあるのはその頃、西鉄で全力疾走がちょっとしたブームになっていたことだ。三原脩という監督は、『投ゴロなのに全力で走るのは無駄』という思想の人だった。ところが、この年に限って、我々はかなりまじめに走った。九回2死で投ゴロ、一塁にたどり着く前に『ゲームセット』となっていても、とりあえずベースまで走った。三原理論では全くの無駄走りになるのだが、誰もが引き上げ、無人となった一塁ベースに駆け込む姿が、何かを呼び覚ました。ベンチから『おお、走っとるぞ』と声が上がるようになり、そのうちみんなが走るようになった」無駄と思えるような所での全力疾走、が全てに通じる。