戦後の物語の頂点

nakatomimoka2013-08-27

福井俊彦さん。「アメリカは、もうちょっとハンディキャップが欲しいというので、85年にプラザ合意として、ハンディキャップ委員会を臨時に開いて、もう一回査定をし直したというのがあのときの合意だと思うんです。つまり、85年というのは、いかに日本が戦後の物語の頂点に行き、アメリカが戦後としては非常に苦しい状況に立ち入ったというその時期です。85年の日本の産業界の人々の合い言葉は『もはや学ぶものなし』という言葉だったのです。私は戦後のサクセスストーリーを築いた日本の民間企業の陣形は、ラグビーで言えばフォワードのタイトスクラム。目標がはっきりしていて、みんなで肩を組んで下を向いて押し込む形だけれど、グローバル化後、一人一人が目標を定めて走るルーススクラムの隊形に変わったんだと」その変化に対応できているか。