我思う故に我

nakatomimoka2013-09-09

小川仁志さん。「中世に入ると、キリスト教が幅をきかせます。したがって、哲学の役割も、いかにキリスト教と哲学を融合させるかという点に重点が置かれます。ここではアウグスティヌストマス・アクィナスという二人の哲学者を押さえておけばいいでしょう。前者はプラトンの二元論的世界観(世界は理想と現実の二つに分かれるという考え)を、後者はアリストテレスの目的論的世界観(もともと現実の中にある可能性が、目的に向かって成長していくという考え)をキリスト教の世界に援用しました。近代に入ると、まずその入り口でルネ・デカルトが『我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)』という言葉と共に『私』の意識中心の哲学を発見し、それを徐々に発展させていきます。言い方を変えると、主観と客観が分離されたわけです」最近、考えてますか?