志操と胆識

nakatomimoka2014-05-14

安岡正篤さん。「志操・志というものが単なる観念や空想ではなくて、それが。ちゃんと物事を成していく現実のエネルギーである時は、『志気』という。これが時々えらい元気になったり、あるいはウヤムヤではっきりしない状態になる時は『客気』という。本当の志気は客気ではなくて常に変わらざるものでなければいけない。いかなる場合にも志を変えないことを『志操』とか、『節操』とかいうが、この操という意味は、握るということだ。我々の理想はちゃんと握っておかなければならない。そういうのを『志操』という。気節・志操というものが出来てくると、物に動じなくなる。そういう外物の誘惑や脅迫に対し毅然として動かず、所信を断行する、そういう実行力と正義、不義に対する抵抗力、すなわち胆を持っておるところの見識を『胆識』という」胆をば持ちたし。