四十九年の非を知る

nakatomimoka2015-06-02

江村勝治さん。「中国の古典『淮南子』に、『行年五十にして四十九年の非を知る』という一節がある。これは蘧伯玉(きょはくぎょく)が発した言葉とされる。この言葉について、昭和歴代首相の指南役を務めた陽明学者の故・安岡正篤師は、『非を知るということは否定すること。四十九年間の今までの生涯は駄目であった、と一応抹殺してしまう。非を知り、否定し去って、初めて新しくやり直しができるのです』と解説している」否定するということは、捨てるということ。残す基準は『真善美』であったり、近藤麻理恵さんではないが、『ときめくもの』あるいは『わくわくするもの』であったりするのだろう。何を捨てるか。捨てて、生まれ変わり新たな自分を創り出せるか。