第三の眼

民話などで、片方の眼を何かでふさいでいるのでどうしたのかと問うと、それをはずすとあまりに見えすぎるので、というような話がある。あるいは第三の眼があり、ふだんは隠しているが出すとものすごい能力を発揮する、など。本来の潜在能力はすごいのだが、ふだんは隠れて(隠して)いて、いざというときには快刀乱麻を断つ大活躍というようなのもドラマのある種のパターンではある。朝起きると、たまに、そういう隠れてしまっている第三の眼が開いているような気分になるときがある。元々有しているものすごいはず(?)の潜在能力を今日こそは仕事で発揮せん、と思うのだが、残念ながら通勤電車で会社に着くころには、たいがいその眼は閉じてしまっているのである。