感情をともなって思う

nakatomimoka2014-02-02

無能唱元さん。「『因』がアラヤに入ったとき、将来の結果を生ずるための『縁』が生じたというんです。じゃあ、縁起は何で起きるかというと、『今、感情をともなって何か思った』、これだけのことなんです。それがインプットされ、どんどんアラヤのなかにたまっていって異熟となる。しかも、このアラヤには、どのような縁起も、何ら選択することなく、無差別に受け入れてしまうという性質があります。これは非常に重要なことなんです。『大乗仏典』の中に、『アラヤ識』は感情がなく、倫理的性格も有していない」と書いてあります。たとえ、本人の身の破滅になろうとも、その結果にはいっさい斟酌せず、その縁起通りの命令に従い、それを実行してします。つまりアラヤ自体には、選択する知恵、配慮といったものがそなわってはいないのです」無差別に。