法隆寺釈迦三尊像

nakatomimoka2015-10-22

橋本麻里さん。「新興の弱小国ニッポンが、東アジアの果てで侮られず、侵略もされずに生き延びていくための現実的、政治的な決断として、聖徳太子を中心とする朝廷は、大陸や半島諸国で信仰される『世界宗教』を受け入れることを選んだ。しかし紀元前5世紀頃に釈迦その人が提唱して以来、この時点までに約千年の時をかけて拡大、深化してきた仏教の体系はあまりに手強い。ややこしい経典の勉強は後からでいいから、取りあえず教祖であるお釈迦様の像を拝むことから始めてみては……というのが、恐らく仏教事始めにおける、本場のメンター僧侶によるアドバイスだったのだろう。ナイス。そんなわけで、当初飛鳥の里に造られたのは、『飛鳥大仏』と通称される安居院の釈迦如来坐像や、法隆寺金堂の釈迦如来坐像などに代表される、釈迦如来像だった」ナイス。