有意義という呪縛

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泉谷閑示さん。「一方の『意味』というものは、『意義』のような、『価値』の有無を必ずしも問うものではありません。しかも、他人にそれがどう思われるかに関係なく、本人さえそこに意味を感じられたなら『意味がある』ことになる。つまり、ひたすら主観的で感覚的な満足によって決まるのが『意味』なのです。『意義』とは、我われの『頭』の損得勘定に関係しているものなのですが、他方の『意味』とは、『心=身体』による感覚や感情の喜びによって捉えられるものであり、そこには『味わう』というニュアンスが込められています。生産マシーンのごとく、常に『価値』を生むことを求められてきた私たちは、『有意義』という呪縛の中でもがき続けていて、大切な『意味』を感じるような生き方を想像する余裕すらない状態に陥ってしまっているのです」そうかも。