『惜福』の工夫

幸田露伴さん。「幸福か、不幸かというのも、風が順風か逆風かと同じ。つまりは主観による判断で、どちらかに定まっているわけではありません。『幸福を得る人』と『そうでない人』を比べてみると、その間に微妙な行動の違いがあるようです。第一に、幸福に合う人を見ると、多くは『惜福』の工夫がある人であり、そうでない不運の人を見れば、十人のうち八、九までは少しも『惜福』の工夫がない人です。『惜福』とは何かというと、福を使い尽くし、取り尽くしてしまわないようにすることです。たとえば手元に百円(今の十万円くらい)をもっていたとして、これをすべて使い果たし、半文銭(五円玉くらい)すら残らないようでは『惜福』の工夫がないと言えます。つまり、必要なもの以外には使わず、無駄なことに浪費しないのが『惜福』なのです」浪費しない。

よい妄想の効用

永田勝太郎さん。「ヴィクトール・フランクル先生がアウシュビッツ収容所で家族全員を殺され、いつガス室へ行けと言われるかもしれない中を生き抜けたのは、基本的に楽観主義者だったから。アウシュビッツチフスにかかった先生は高熱を発しました。今夜もし寝てしまったら、私は明日の朝、死体になっているだろう、と。一方、頭の中では何を考えていたかというと、自分は米軍に救出されてウィーンへ帰る。そして、『一精神医学者の収容所体験』という本を書き上げ、それが世界的なベストセラーになってカーネギーホールに呼ばれると考えた。ホールを埋め尽くす聴衆を前に講演を終え、大喝采を受けている自分の姿を想像していたというんです。今夜死ぬかもしれないという、その最中に。僕は『よい妄想』というのは、実は大事ではないかと思います」心は自由。

練達は希望を生ず

加藤一二三さん。「私の場合には9年後に名人になり、願いが叶えられたわけですが、この9年が長いか短いかは私にはわかりません。中には神様に20 年も30年も願い続けていらっしゃる方もいます。願いがいつ叶えられるかは人間にはわからない。しかし神様はその人にとって一番相応しい時に必ず願いを叶えてくださると信じることができれば、人々は辛苦に耐えていくことができるのです。キリスト教の最高の徳は忍耐だといわれています。新約聖書の『ローマ人への手紙』の中で聖パウロは次のように言っています。『艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず』。失敗とか挫折とか、思うようにいかないことがあるからこそ、人間は成熟し、人格的にも深みが増していくんですね」自分にとって一番ふさわしい時に、必ず願いが叶うはずと信じて。

信仰は楽観を生む

加藤一二三さん。「でも、負けた直後に、近い将来にたぶん名人になれるだろうという予感がしたんです。どうしてそんなに楽観的になれるのか。キリスト教の信仰と関係があるのかもしれません。信仰をするということは、神様を認める、つまり人間を超える存在を認めるということです。その神様の御手の中に生かされていると感じた時、人はすべてを神様に任せるという気持ちが起こってくるんです。そうなると誠実に毎日を精いっぱい生きているならば、たとえすぐに効果はなくても、いつか必ず神様が自分の希望とか願いを叶えてくださるであろう、と思えるようになる。神様から見て、その人にとって一番いいときに願いを叶えてくださるというのがキリスト教の信仰です。だから挫折とか失敗とか苦しみにやけっぱちにならないで、耐えていきましょうと」神仏に。

幸福は集合的な現象

内田由紀子さん。「繰り返し述べてきた考えの一つは、幸福は『ごく個人的』なものと考えられがちであるが、実は社会や文化の影響を大きく受ける、『集合的な現象』でもあるということである。文化や社会という環境のなかで学習され、伝達され、共有される『幸福のあり方』は、そこに生きる個人のライフスタイルや幸福感を方向付け、その行動にも影響を及ぼす。これまでの心理学の研究モデルは、個人内のメカニズムについて検討することを超えられないという理論的・方法論的限界があった。しかし、幸福のようなより大きな問題を考慮したときには、個人モデルの追求だけでは足りない。社会の価値観に関する分析、自然環境に関する分析など、分野を越えた協力関係のもとに研究を進めていく必要がある」文化や社会の中で変わりうる幸福の概念と変わらぬものと。

幸福を感じる力

内田由紀子さん。「GHNは、第四代国王が1970年代に『ブータンGDPよりGNHを大切にする国にしたい』といったことに始まるといわれている。経済成長を目指しても人々が幸せにならないのであれば、経済成長というのはもしかすると緩やかでもいいかもしれず、逆に経済成長することで失ってしまうものを大事にしたほうがいいのではないかというようなことをブータンは発信している。ブータンを訪れたときに印象深かったのは、『幸福を感じる力』への志向性である。とくにブータン仏教と幸福感の関わりは否定できない。祈りや瞑想の時間を設けることが日常的に行われており、人々は『足るを知る』の精神を重要視している。それゆえ、HAPINESSという言葉を用いているが、本当は【幸せ】ではなく【充足】という意味に近い」足るを知って幸福の感度をあげる。

若者の幸福感の変化

内田由紀子さん。「ブータンの幸福感は、いわゆる北米系の『獲得志向』の幸福感とはとても異なっている。もちろんブータンでも良い教育を受けること、あるいは自尊心を高くすること、労働意欲や経済状態は大切にされている。しかし、最も重視されているのは感謝の気持ちと充足感である。両親、先祖、自然、動物たち、土地に感謝をしながら、日常のなかで充足感を感じていることをブータンの人たちは大切にしている。ブータンは人々が『幸福の国』という言葉から想像するような、いわゆる桃源郷というわけではない。経済的には最貧国のなかに含まれるし、地方部ではインフラが整っていないところもある。しかし人々は誇りと他者への信頼をもって暮らしていることが伝わってくる」仏教国で農業人口が9割。医療費と教育費は無料。面積は九州くらいだという。