労働も消費の対象

國分功一郎さん。「現在では労働までもが消費の対象になっている。どういうことかと言うと、労働は今や忙しさという価値を消費する行為になっているというのだ。『1日に15時間働くことが自分の義務だと考えている社長や重役達のわざとらしい「忙しさ」がいい例である』。これは労働そのものが何らの価値も生産しなくなったという意味ではない。当然ながら社会の中にある労働は価値を生産しているし、それがなければ社会は回らない。『労働の消費』という事態が意味しているのはそうではなくて、消費の論理が労働をも覆いつくしてしまったという事である。ガルブレイスは仕事に生き甲斐を見出す階級の誕生を歓迎した。しかし、それは消費の論理を労働に持ち込んでいるに過ぎない。彼らが労働するのは『生き甲斐』という観念を消費する為なのだ」仕事もまた。