余暇も消費の対象

國分功一郎さん。「ここからさらに興味深い事態が現れる。労働が消費されるようになると、今度は労働外の時間、つまり余暇も消費の対象となる。自分が余暇においてまっとうな意味や観念を消費していることを示さなければならないのである。『自分は生産性的労働に拘束されてなんかいないぞ』『余暇を自由にできるのだぞ』。そういった証拠を提示することを誰もが催促されている。だから余暇はもはや活動が停止する時間ではない。それは非生産的活動を消費する時間である。余暇はいまや、『俺は好きなことをしているんだぞ』と全力で周囲にアピールしなければならない時間である。逆説的だが、何かをしなければならないのが余暇という時間なのだ」そもそも、余暇という表現がおかしい、と言っていた人がいた。余暇に頑張って何かをしないという強迫観念。