思えない人は思えない

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小池龍之介さん。「『やってみよう!』因子ですか。『瞑想をやってみよう!』、まさにやってみないと分かりませんし、確かに『やってみよう』という意欲がないと、何もできませんね。でも、やってみようと思おうとして、思える人と思えない人がいますね。思えない人は思えないので、『思わなきゃだめだよ』と言っても、思えないから。残念だけど、その人はかわいそうですけど、そういうかわいそうな人に対しては助けてあげなくてはいけません。助けてあげられるようになるには修行して、自分のことで精いっぱいでない状態になる。自分のことはどうでもよくなっていると、人のことを助けられる土壌が出てくるので、やってみようとしてやってみる気になれない人を助けるぐらいになれたらいいかなあと、私の立場としてはそう思いますね」助けられる土壌。

予想が外れる体験

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玉樹真一郎さん。「つまり、ぱふぱふの本質は、予想が外れるという体験にあるのです。私たちの脳は、みずからの命を守るために未来を予想しようとしますし、予想の精度を上げるため懸命にこの世界の動きを学習しようとします。だからこそ予想を当てられた脳は『将来やってくる死のリスクもきっと予想できるだろう、命を守れる、うれしい!』とでも言わんばかりに、興奮物質を出してよろこびます。一方で、予想が当たり続けてしまう体験は、脳にとって『もう十分予想できるから、学習も必要ないな』というシグナルにもなってしまいます。そんな時こそ、予想が外れる体験の出番です。疲れと飽きによって弱っていく脳の学習機能を活性化するために、脳の予想を外す体験をあえて織り交ぜる。長時間の体験をデザインする際の重要テクニックです」ぱふぱふ、する?

人はなぜゲームを遊ぶ

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玉樹真一郎さん。「マリオとゼルダ、それぞれが直感を生みだす原動力をまとめます。マリオの例では、人々に共通する脳や心の性質を利用している。ゼルダの例では、人々に共通する記憶を利用している。これらふたつの異なるアプローチに共通するのは、人間への理解が必要だという点です。人はなぜ、ゲームを遊ぶのか? なんだか哲学的にも響く問いではありますが、以下がこの本のこたえです。ゲーム自体がおもしろいからではなく、プレイヤー自身が直感する体験そのものがおもしろいから、遊ぶ。(略)疲れと飽き。これこそが、直感のデザインが抱える致命的な欠点なんです。脳というものは、同じ刺激が何度も繰り返されると反応が徐々に弱まっていくようにできているからです。心理学では心的飽和や馴化とよばれています」脳や心の性質と、共通記憶。

縁と奇跡の9月

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9月の第一週に滋賀県信楽京都府精華町、第二週に神戸と有馬温泉、宝塚、第三週に和歌山の新宮にそれぞれ別の目的でのツアーのような感じで参加というか幹事的な役割で関わって行ってきた。奇跡的に(?)3つとも人数が19人だった。17日、博覧強記の会が協力する「『ガーンジー島の読書会の秘密』を語る」に14日に映画を観て参加。25日に大学のゼミの小さな集まりがあって、20年ぶりに会った同級生が奈良のあるお寺について熱く語っていたと思ったら、翌日そのお寺にいくのだが、つてはないだろうか、という話が来て、これも何かの縁だろうということでその友人にお寺さんのほうにつないでもらい訪問することになった。29日は博覧強記の会のメンバーの方の後輩にあたる作家・保坂和志さんのトークライブin京都に参加。世の中は縁で回っている。

記憶さえ把握できれば

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玉樹真一郎さん。「『蜘蛛の巣の向こうに扉がある』『棒は木のような材質だ』といった情報が明確になるように、注意深く見た目や音をデザインしてはいます。何せパズルを解くパーツになる情報ですから、伝達ミスは許されません。一方で、デザイナーが伝えることを放棄して、プレイヤー全員わかるに違いないとかかっていることもあります。どんなプレイヤーでも、人はみな『木は燃える』ことを知っているはずだ、という点です。逆に言えば、プレイヤー全員が持っている記憶さえ把握できれば、そこから体験をデザインできるんですね。プレイヤーの記憶。それは、個々のプレイヤーが自ら人生を歩む中で懸命に学んできたものです。だからこそ、プレイヤーは謎を解いた瞬間、まるで自分のこれまでの人生を肯定されたかのような気持ちになるかもしれません」ほう。

いつだって仮説を

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玉樹真一郎さん。「ゲームはおもしろいから遊ぶのではありません。『つい思いついちゃった、ついやっちゃった』から遊ぶんです。私たちの脳はいつだって仮説を探し求め、試行させようとします。私たちの脳は、常に『〇〇するのかな?』という次の行動について仮説をつくりたがっている。『アフォーダンス』は思い切って噛み砕くと、あなたが何かを見たときに思い浮かぶ『〇〇するのかな?』という気持ちのことです。くわえてもう一つ、アフォーダンスとセットとなる考えかたに『シグニファイア』があります。スーパーマリオであればマリオの形状や位置・山や草などが該当します。いや、正確には画面のすべてがシグニファイアといっていいでしょう。おもしろそうだと思わせることすら捨て去って、プレイヤーが何をすればよいかを伝えることに集中する」仮説。

直感のデザイン

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玉樹真一郎さん。「あなた自身が自身の力で自転車の乗りかたを体得したからです。自分で学び、自分でできるようになったことは、自信が持てますし、疑いません。仮説→試行→歓喜という自発的な体験を通して理解した自転車の乗り方は、もはや一生疑う必要のない真理として血肉となることでしょう。自発的に学んだことは、一生否定できないほどに深く信じる。スーパーマリオを遊ぶプレイヤーも、自発的な仮説→試行→歓喜という体験を通して『右へ行く』ことを直感し、信じるんですね。これを直感のデザインと呼ぶことにすると、もうひとつ重要な成果があります。『このゲーム、おもしろい!』と評価するしかないのです。直感のデザインは、情報を直感的に伝えるのみならず、おもしろいと感じさせるもっとも重要な機能も担っているのです」もはやおもしろい。