難易度のエスカレート

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アダム・オルターさん。「研究者たちは、『ほとんどの人間は、何もしないより何かをするほうがよいと考える。たとえそれがネガティブなものであっても』と考察している。おだやかな心地よさが一定期間続くと、それを適量の苦痛で打ち破りたいと考える人が多いのである。順風満帆な生活は表面的には魅力的に思えるが、その魅力はすぐに色あせる。人間は誰でも、ある程度の範囲で、敗北や困難や試練を必要としているのだ。それが一切ない状態では、成功のスリルや喜びも、勝ちを重ねるたびに薄くなる。だから貴重な自由時間を費やしてわざわざ難しいクロスワードパズルを解いたり、危険な山に登ったりする。ずっと成功するとわかりきって過ごすよりも、試練に伴う苦労を味わうことのほうが、はるかに魅力的なのだ」人生山あり谷あり、のほうが平坦より。

進歩の実感

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アダム・オルターさん。「宮本茂は、遊ばずにいられないビデオゲームの作り方を知っている。スーパーマリオブラザーズには初心者を引きつける力がある。何しろ最初のハードルが低いのだ。スタートした瞬間から楽しむことができる。ゲーム開始の最初の数分間が、『ユーザーに遊び方を教える』、そして『何も教えられていない(自分の力で学んでいる)という感覚を味わわせる』という、2つの難しい役割を同時に、そして見事に果たしている。経済学者であるシュービックは、ダラーオークションゲームなる室内遊びを紹介している。「出品者が1ドル札を競売にかける。一番高い金額で落札した者が、その金額で1ドル札を入手する。2番目に高かった入札者も、入札額を払う。」このゲームをやっていると、額面の3倍から4倍まで金額が上がることもある」やったなこれ。

フィードバックの罠

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アダム・オルターさん。「エレベーターのボタンを押して光るのを見たい子どもと同じく、ゲームをする人も、自分のしたことで何か変化が起きたという感覚を喜ぶ。その感覚がなければ、ゲームに対する関心も失ってしまう。ここで言うジュースとは、ゲームの基本ルールの表面を覆っているささやかな魅力やフィードバックのことである。ゲームにとって必須ではないが、ゲームにのりこませるためには欠かせない。こうしたジュースが効果的である理由は、脳の原始的な部分を刺激するからだ。ジュースはフィードバックを増幅する効果があるが、それと同時に、現実世界とゲームの世界を一体化させる狙いがある。どんなギャンブルであれ、結果が明らかになるコンマ数秒前に、人の心は最高潮に達している。当たりを目にしようと前のめりになるタイミングだ」興奮。

幸運天使

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アダム・オルターさん。「それでもずっとハズレが続けば、どれだけ血眼になったギャンブラーでも、だんだん興味を失い始める。勝率設定を変えて、ハズレが続いたあとに当たりやすくすることは簡単なのだが、残念ながらアメリカではそうした調整は違法だ。カジノはこれに対して、いくつか独創的な解決策を編み出している。『多くのカジノは、『幸運天使』という手法を使っています。客の意欲が途切れそうになっているタイミングーもうカジノから帰ろうかな、と考えている瞬間ーを察知すると、スタッフの誰かをその客のもとに派遣して『ボーナス』を渡すのです』。ボーナスは、食事無料券であったり、ドリンク無料券であったり、現金やギャンブルクレジットの場合もある。客が失った金額を別枠でプールしておき機械が自分で役割を果たす策も編み出された」ボーナス。

当たりに偽装したハズレ

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アダム・オルターさん。「現代のスロットマシンでは、実際にはスピン1回で差し引き50セント損しているというのに、マシンが派手な光と音であなたを祝福するので、そのフィードバックに思わず嬉しくなってしまうのだが、それは文化人類学者のシュールをはじめギャンブル専門家が『当たりに偽装したハズレ』と呼ぶタイプの勝利なのである。偽装が問題なのは、プレイヤーが敗北という認識を持たないからだ。彼らはこれを勝ちと分類する。実験では、当たると被験者の発汗量が増えていたのだが、それが本当の当たりでも、偽りの当たりでも、発汗量は変わらないことがわかった。現代のスロットマシンが危険なのは、このためだ。大人も光や音が鳴るものに弱い。本当は負けているのに、脳がそれを勝ちだと認識してしまう」体験を強化するフィードバック。

予測不能なフィードバック

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アダム・オルターさん。「光であれ、音であれ、何らかの変化という形でフィードバックがあることを、人は快感と感じるのである。人も動物も、確実な報酬よりも予測不能なフィードバックを好む。エサが出る確率を100%でなく50%から70%の確率にしたときのほうが、ハトはまるで小さなギャンブラーのように、ボタンを猛烈につつきまくった。ただし、えさの出る確率を10%にすると、心が折れるらしく、まったくつつかなくなった。ランダムに出る、つまり報酬が確約されない状態のほうが、ボタンをつつく回数は2倍も多くなっていたのである。「いいね!」は、ハトたちに猛烈にボタンをつつかせていた『予測不能なフィードバック』そのものだ。ハトと同じく、人間は確実性のないフィードバックほど欲しくてたまらない気持ちになる」予測不能

目標信仰の末路

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アダム・オルターさん。「度を越しさえしなければ、個人的な目標を掲げるというのはまったくもって妥当なことだ。目標があればこそ、限られた時間や目標をどう使うべきか見えてくる。だが現代では、求めもしない目標が向こうからやってくる。ソーシャルメディアに登録すれば、フォロワーや『いいね!』の数を集めたくなる。自分のがんばりをタイムや数字に管理させていると、キリのいい数字に達すること、社会的比較で納得のいく数字を出すこと自体が目標になってくるのだ。人より速く走りたい、人より多く稼ぎたい、まとまった形で結果を出したいと思えて仕方ない。目標は高くなる一方で、依存的な追求に油を注ぐ。つねに何かの目標に失敗している自分として生きながら、何かに成功するたび、また新しく野心的な目標を掲げずにいられなくなるのである」目標。