祈る思い

nakatomimoka2013-10-16

松下幸之助さん。「松平定信は、老中に就任した翌年の正月二日、吉祥院歓喜天に次のような趣旨の願文を納めたという。『今年は米の出まわりがよく、高値にならず、庶民が難儀をせずにおだやかに暮らせるよう、私はもちろん、妻子の一命にかけて必死に心願します。もしこの心願が筋違いで、庶民が困窮するというのであれば、今のうちに私が死ぬようにお願いします』さらに彼は、日々七、八度東照宮を念じてこの重責を全うできるよう祈ったという。自ら何もせずしてただ神仏にご利益を願うというようなことは、人間としてとるべき態度ではないと思う。しかし、人間が本当に真剣に何かに取り組み、ぜひともこれを成功させたい、成功させねばならないと思う時、そこにおのずと何ものかに祈るというような気持ちが湧き起ってくるのではないだろうか」祈るまでの思い。