人生は連続する刹那

nakatomimoka2014-11-26

古賀史健さん。「人生を登山のように考えている人は、自らの生を『線』としてとらえています。この世に生を受けた瞬間からはじまった線が、大小さまざまなカーヴを描きながら頂点に達し、やがて死という終点を迎えるのだと。しかし、こうして人生を物語のようにとらえる発想は、フロイト的な原因論にもつながる考えであり、人生の大半を『途上』としてしまう考え方なのです。線としてとらえるのではなく、人生は点の連続なのだと考えてください。線のように映る生は点の連続であり、すなわち人生とは、連続する刹那なのです。「いま」という刹那の連続です。われわれは『いま、ここ』にしか生きることができない。我々の生とは、刹那のなかにしか存在しないのです。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に、不可能なのです」いま、ここの連続。