無知ゆえの幸せ

nakatomimoka2015-10-04

例えば珈琲の味が完璧に判別できるようになったとして、これまで喫茶店で普通に出されるものを「うまい」と飲んでいたものが「これはうまくない」と思うようになると、実は幸せからは遠ざかるのではないか。これはワインでも、料理でも、音楽でも、何でも一緒かもしれない。自分のレベルや基準が上がることによって、評価が厳しくなり、その結果、楽しめなくなったりする。逆が「無知ゆえの幸せ」のようなものか。それでも、やはり高みを目指す縦方向の努力は続けたい。わかる力、見極められる能力は身に付けておきたい。その上で、感じ方の話になるのだろう。それが、許容の幅というか、横方向で何でも受け入れられる度量ということであり、安ワインでもそれを踏まえて楽めればいい。わかった上で受け入れてありがたく思い楽しめれば、それが一番いいのだろう。