苦しみを求める人間

國分功一郎さん。「熱中できる為には、気晴らしはどのようなものでなければならないか?お金をかけずにルーレットをやっても、ウサギを楽々ととらえることのできる場所で狩りをしても、気晴らしの目的は達せられない。つまり、気晴らしが熱中できるものであるためには、お金を失う危険があるとか、中々ウサギに出会えないなどといった負の要素がなければならない。この負の要素とは広い意味での苦しみである。苦しみという言葉が強すぎれば、負荷といってもいい。気晴らしには苦しみや負荷が必要である。ならば次のようにいうことができるはずだ。退屈する人間は苦しみや負荷をもとめる、と。私たちは普段、精神的・肉体的な負荷を避けるために、様々な工夫を凝らして生きている。だが、退屈すると、あるいは退屈を避ける為であれば、苦労を求める」負荷。