気晴らしに満ちて

國分功一郎さん。「気晴らしをしているとき、私たちは何かやるべきことを探している。やるべき仕事を探している。やるべき仕事といっても、その際、その仕事の内容はどうでもいい。やるべき仕事がないと、人は何もない状態、空しい状態に放って置かれることになる。そして、何もすることがない状態に人間は耐えられない。だから仕事を探すのである。だから、退屈と共に台頭してくる空虚放置へと落ち込まないために、私たちは何かやるべき仕事を求める。私達の生活は何のためやらよく分からない気晴らしに満ちている。テレビで芸能人がゲームをしているのを延々と眺めているのは気晴らしである。休日に特にほしい物もないのに買い物に出かけるのも気晴らしである。ツイッターでいまどこで何をしているのかをつぶやくのも気晴らしである」気晴らしのうちに。