生活は気晴らしに

國分功一郎さん。「『高尚』だと思われる事柄も同じではないか? 古典文学を読むのも、名画を鑑賞するのも、モーツァルトやベートーベンを聴くのも気晴らしではないか?私達の生活がすべて気晴らしである訳ではないだろう。しかし、私たちの生活は気晴らしに満ちている。必要だと思ってやっていることさえ、もしかしたら気晴らしかもしれない。受験勉強も気晴らしかもしれない。額に汗してあくせく働くことすら、絶対にそうではないとどうして言い切れるだろう。誰もがその気晴らしを退屈だと感じるわけではない。しかし時折その気晴らしは退屈と絡み合う。暇つぶしと退屈の絡み合った何かー生きることとは殆ど、それに際すること、それに臨み続けることではないだろうか?何か人間の生の本質を言い当てていると言ってもよいように思われるのだ」本質。