なんとなく退屈

國分功一郎さん。「人間の大脳は高度に発達してきた。その優れた能力は遊動生活において存分に発揮されてきた。しかし、定住によって新しいものとの出会いが制限され、探索能力を絶えず活用する必要がなくなってくると、その能力が余ってしまう。この能力の余りこそは、文明の高度の発展をもたらした。が、それと同時に退屈の可能性を与えた。退屈するというのは人間の能力が高度に発達してきたことのしるしである。能力の余りがあるのだから、どうしようもない。どうしても『なんとなく退屈だ』という声を耳にしてしまう。人間はなんとかしてこの声を遠ざけようとする。わざわざ命を危険にさらすらために軍職を買って戦場に赴いたり、狩や賭け事に興じる。だが、そうした逃避も退屈の可能性そのものに対しては最終的には無力である」退屈を感じるまでに。