我をなくして鏡を拝む

三上丈晴さん。「清田氏は、興味深い言霊を語る。神社の拝殿には必ず大きな丸い鏡が置かれている。神社で参拝する人は、構造上、鏡に向かって手をあわせる。このとき、鏡に映っているのは自分の姿である。神様にお願いごとをしているつもりだが、実際は自分に祈っていることになる。ここで重要なのが、『鏡=カガミ』である。我欲むき出しのお願いごとをしている限りは、あくまで対象は自分自身である。ところが、ここでが欲を捨ててお願いをしたら、どうか。お母さんの病気がよくなりますようにとか、無私の心で祈願する。このとき参拝者の『我』がなくなる。鏡に映っている自分の我がなくなると、どうなるか。『カガミ』から『我=ガ』がなくなると、『カミ=神』になるのだ。我欲を捨てた瞬間、鏡に映っているのはもはや自分ではなく神なのだ」無我。