既に全部備わっている

玄侑宗久さん「だから、毎日毎日、十分人生を楽しんだ、将来に貸しは残していないと言える状態にしていくべきじゃないかと思うんです。そう思うために禅では『知足』という言葉を使います。既に全部頂いて備わっているわけですからね。例えば何か怪我したらその怪我したことも含めて、全部何か意味があって起こっていることですし、過不足ないというふうに信じてれば不満を感じることもない。で、時間を連続して捉えませんから、一生のうちのピークがいつだという考え方は私もしません。例えば私はいま47歳ですけど、46年待ちに待った年がいま来た、と考えるんです。いつだっていまがピークなんです。ドゥーイングが衰えても豊かなビーイングと接する時間がその後来る。その意味では、人間というのは一生高まり続けていくと思うんです」待った年が。