人生は努力にあり

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渋沢栄一さん「人生は努力にあり。老年となく青年となく、勉強の心を失ってしまえば、その人は到底進歩発達するものではない。余は平生、自ら勉強家のつもりでいるが、実際一日といえども職務を怠るということをせぬ。その勉強もただ一時の勉強では充分ではない。終身勉強してはじめて満足するものである。自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにしていきたいと心がけてきた。たとい、その事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんで事に任じられる。ゆえに余は論語をもって商売上の『バイブル』となし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めてきた。単に成功とか失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか」努力だ。

デカルトの誤り

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佐藤友亮さん。「神経生理学者のアントニオ・ダマシオは、情動制御に関わる前頭葉の特定の部分が、人間の意志判断に非常に重要な役割を担っていることを、『ソマティック・マーカー仮説』によって説明しました。人間の意志判断には、感情刺激に対して身体的(ソマティック)に反応する回路が重要な役割を持っていて、感覚刺激に対する身体反応が、論理的思考の重要なサポート役をつとめる目印(マーカー)として働いているというものです。彼は『身体と脳は決して切り離すことのできないものである』『脳の機能は、身体を介した絶え間のない情報入力と出力に他ならない』という研究成果について、心身二元論で有名なデカルトを引き合いに出し、『デカルトの誤り』という本を出版しました。『心(感情)は身体によって作られている』というものです」心身一如。

型を忘れるための型

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佐藤友亮さん。「『チェスと武術の両方において、僕の成長に不可欠だったある一つの学習方法がある。ぼくはその学習方法を、数を忘れるための数、または、型を忘れるための型と呼んでいる。』何事であっても学習を行うときは、最初に基本を徹底的に身に付けます。これらの原理は、最初のうちは盤上で意識的に実践されるものですが、ある程度の学習期間を経ると、基本原理が自分の奥深くで統合されて、意識しなくても直観的に(自動的に)繰り出されるようになってきます。ジョッシュの『直感による動き』そしてそれを実現されるための『型を忘れるための型』という考え方は、東洋的な身体運用と非常に関係が深いものです。戦国時代の禅僧、沢庵宗彭は、『不動智神妙録』で、『心を忘れ切って、萬の事をするのが、上手の位なり』と述べています」心忘。

HITSの法則

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重田みゆきさん。「夢をかなえたくて、まだ届かない、という時は、『HITSの法則』の何が足りないのかを考えてみて下さい。今の自分に足りないのは、HEART? 夢に対する熱い思い? それともIMPRESSION? この人ならば、その夢かなえられるだろうな、と人に信頼されるような見た目の外見や話し方のPRの部分でしょうか? または、TARENT,TECHNIQUE,TRAINING……自分の才能・能力・技術・継続的な努力だと思いますか? それとも、どんなに夢を諦めようと思っても、それを許さないほどの強力SUPPORTERSの力だと思いますか? 一緒に頑張ってきてくれた仲間がいたら、自分だけ諦めるなんてできませんよね。陰で支えてくれた応援団がいると思ったら、恩返ししたい、と不思議なほど力が湧いてきますよね。逃げられませんよね」IとSが足りませんな。

勉強や修行に最適の時期

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黒川伊保子さん。「九歳から十二歳までは、黙っていても、神経回路が激増するとき。最も大事なのは、睡眠の質である。ヒトの脳には、鍛え時というものがある。十五歳から二十八~九歳までの約十五年間がそれに当たる。十五歳になると、オトナ脳(最も効率のいい知識データベース)が完成し、単純記憶力のピークが訪れる。単純記憶力は、沢山の情報を一気に取り入れ、長くキープする力で、十五年ほど強く働く。当然、勉強や修行に最適の時期なのである。健康な脳は、この時期、がむしゃらに情報を取り入れようとする入力装置になっている。懸命に繰り返すのが楽しいし、それによって、達人のコツ(ことばに表現できない暗黙知)も手に入れることができる。がむしゃらな入力装置と化している二十代の脳に、出力を要求するのは酷というものだ」だよな。

三十代をしっかり惑う

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黒川伊保子さん。「三十歳近くになると、脳は、次の段階に進む。本人は、『俺も、昔ほど、がむしゃらになれなくなったなぁ』と、少しさみしく感じるかもしれないが、ここからが本当の人生の入口である。その人らしさを作り、人生の本質を知る段階に入るのだから。三十代の十年間は、脳が最も苦しむときでもある。ものの見方が取り揃っているのだが、優先順位がついていないので、いちいち迷うし、惑うからだ。しかし、三十代は、たくさんの選択肢に挑戦し、痛い思いをして、自ら傷をなめて立ち上がり、また、歩きだす必要がある。これをしないと、脳の優先順位がしっかりと根付かないからだ。優先順位を知るのは『本質を知る脳』になるため。三十代をしっかり惑えば、本質しか見えない秀逸な脳に熟成するのである」惑ってきたのだろうか、わが三十代。

初心忘れるべからず

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安田登さん「初心の『初』は『衣』偏に『刀』です。着物を作るために布地に刀を入れるということを意味します。衣を刀で裁ち切る、それが『初』です。着物を作るために、まっさらな反物に鋏を入れる。もったいないし、失敗の可能性を考えると怖くもある。だが、それをしなければ着物はできない。だから勇気をもってバッサリいく。そのような心で、自分自身をバッサリ裁ち切って、新たな自分を見つけていく、それが『初心』です。古い自分をリセットし、常に新しい自分に出会っていく、そんな気持ちを持ち続けることを世阿弥は提唱します。世阿弥は『時々』の初心忘れるべからずといいます。人生には様々なステージがある。世阿弥は各ステージにおいて自覚的に、かつ強制的に自分自身に鋏を入れて、過去のしがらみを切ることを強調しているのです」初心。