気晴らしは熱中できるもの

國分功一郎さん。「こう考えてくると、気晴らしは要するに何でもよいのだという気すらしてくる。退屈を紛らわしてくれるなら何でもいい。あとは、選択可能な気晴らしの中から、個人個人にあったものが選ばれるだけである、と。だが、確かに何でもよいかもしれないとはいえ、条件はある。簡単だ。気晴らしは熱中できるものでなければならない。気晴らしは、騒ぎを引き起こすものでなければならないのである。なぜ熱中できるものでなければならないのだろうか? 熱中できなければ、ある事実に思い至ってしまうからである。気晴らしの対象が手に入れば自分は本当は幸福になれると思い込んでいる事実、もっと言えば、自分をだましているという事実のことだ。熱中できなければ、自分をだますことができないから気晴らしにならない」気晴らしはあるか。