純粋な愛の心でなければ

nakatomimoka2015-06-27

五井昌久さん。「あの人を善くしてあげたい、と思ったら、まず自分が光にならないといけない。光になるとは、愛そのものになることである。それは自分の立場が良くなるから、とか、自分の力を示したいとか、人に感謝されたいという不純な心があってはいけない。真に善くしたい、という純粋な愛の心でなければならぬ。その場合、純粋な愛は自己の想念停止(無我)と同じであるから、本源の光がその人を通して相手に流れ入るのである。私は友人の誰よりもよけいに勉強したわけではなく、特別な能力が欲しいと願ったこともない。ただ、常に、常に、神に祈っていたことは確かである。その祈りは―『神様、どうぞ、社会人類のために、私のいのちをおつかいください。私に授けられた私の使命を一日も早くなさしめ給え』という意味のものであった」光に。