退屈の反対は興奮

國分功一郎さん。「退屈する心が求めているのは、今日を昨日から区別してくれる事件である。ならば、事件はただ今日を昨日から区別してくれるものであればいい。その事件の内容はどうでもよいことになる。不幸な事件でもよい。悲惨な事件でもよい。『他人の不幸は蜜の味』と言われる。だれかが他人の不幸を快く感じたとしても、それはその人の性質が根底からねじ曲がっていることを意味しない、この蜜の味には、ある構造的な要因があるのだ。しかもそれどころではない。事件を望む気持ちは、他人の不幸はもちろんだが、わが身に降りかかる不幸にすら及ぶだろう。退屈する人間はとにかく事件が欲しいのだから、人間は自分が不幸になることすら求める。したがって最終的には、『ひと言でいえば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である』」楽しさよりも興奮を。